ニット119番への想い
私を号泣させた『一通のメール』
私は、インターネットを通じてこのサービスを開始して本当に良かったと思っております。そして、ずぅーっと続けて行く事が使命である、とも思っております。
なぜそこまで強く想うのか・・・。
それはネットサービス開始間もない頃、たまたま私が担当したSさんからのご依頼品をめぐってのやり取りで、私は号泣してしまったからです。
Sさん「セーターの穴あきは直りますか?」
のお問い合わせで商品は届けられました。
私、「もちろん直ります。しかし袖を中心に20箇所以上は虫食いとなっておりますの
で修理代は3万円以上になるかもしれませんよ?」
Sさん「代金はいくら掛かっても結構です。もう着ることは出来ないとあきらめながらインターネットで検索していたらこちらのサイトが見つかったものですから・・・。どうしても直して欲しいのです。」
私、「分かりました、ではお引き受けいたします。穴は小さな部分もたくさんあります
から、出来るだけ安く上がるように努力してみます。」
修理が済み商品をお届けした数日後、Sさんからメールが届きました。
『ニット119番 河口様
今、セーターが届きました。
穴の修理もほとんど目立たず、きれいに直してくださり感激しております。
実はこのセーターは、亡くなった母の形見なんです。
虫食いがひどく、もう着て外出することはできないと諦めておりましたが、直って本
当に良かったです。
また母と一緒に外出できるような気持ちになれます。
本当に、本当にありがとうございました。
Sより 』
インターネットでニット製品を愛する全ての人へ
取引先様からの大きな反響に大変勇気を頂いた私は、ニット製品のトラブルでお困りのより多くの皆様にご利用いただけないものだろうか?と考えました。
それは普段専門店でお買い物をされる方はお取引先様を通じて私達のサービスを受けられますが、専門店にご縁のない方は、ニット製品のトラブルで困ったとしても、どこへ修理を頼めばよいか分からないのでは?と思ったからです。
おそらくそのような問題でお悩みの方はたくさんいらっしゃるはずだ、との思いから『ニット119ネット』の開設を決意したのです。
ホームページによる一般の方へのサービス開始は、これまた予想以上の大反響を呼び起こしました。
専門店様へのサービス開始の時と同様に、喜びと感動のご感想メールは、私達の手元にたくさん届けられたのです。
『喜びと感動』を創造する
私は会社に戻るとすぐにニット製品修理部門を設立し、誰にでも分かりやすく親しみが湧くように『これで安心!ニット119番』とネーミングをつけました。
サービス開始するやいなや、全国の取引先様から毎日続々と修理依頼品が届きました。
スタッフも誠心誠意作業に取り掛かった結果、お礼のお手紙やFAXが次々と届けられました。
「虫食いの穴あきを頼んだのですが、こんなにきれいに直るとは思いもしませんでした。」 ≪鹿児島県H社様≫
「袖丈つめをAコース(スペシャル)でお願いしたお客様が出来上がりを見て、どこで直したのか全く分からない、素晴らしいと、他のお客様に言いまわるものですから当分修理依頼が続くと思いますのでよろしくお願いします。」 ≪新潟県G社様≫
「袖中虫食いで着られなくなったお客様のご主人様のセーターをどうにか出来ませんか? <袖を切ってベストにすることを提案> ご主人様は大喜びで早速ゴルフに着ていかれたそうです、ありがとう。」 ≪千葉県E社様≫
などなど『嬉しい』『感動した』とこれほど喜んでいただけるものなのかと、予想以上の反響に私達スタッフは本当に感激したのでした。
『これで安心!ニット119番』サービスの誕生
車で全国を売り歩くという出張は現在に至るまで続いておりが、最初に購入した走行距離3万kmの中古車は、7年間で32万kmに達し廃車となる程過酷なものでした。しかし、その甲斐あって出張を始めてから5年後、完全に下請け製造をやめる事ができたのです。
新たに設立された有限会社ファイエットは、『喜びと感動を創造する』という経営理念の下、専門店様の後方ご支援を事業のドメインとして完全に新しい企業体として独立するまでに成長しました。
私達スタッフは毎日、「私たちにしか出来ない、お客様に感動するほど喜んで頂けるサービスってなんだろう?」というテーマについて真剣に考えております。
ある年、私が九州・長崎市へ出張中、お客様との約束まで少し時間があったので、橋の上に車を止めてぼんやりとこのテーマについて考えていた時のことでした。
と、その時突然ひらめいたのです。
「お店のオーナーは、ニット製品の修理・お直しに困っているはずだ!」
よく街で見かける洋服の修理・お直しの看板が出ているお店に、ニット製品の修理を依頼しても、ほとんどの場合が取扱いできませんといって断られます。
糸から編み上げて作られるニット製品は、専門的な知識や技術が必要とされるため、簡単に取り扱う事が出来ないからなのです。
思い起こせば私も以前務めていたW社営業時代、お店様から届くニット製品の取扱いに大変苦労したものでした。
てくれない。
もしばしばある。
こうなると「出来ることならニット製品の修理は避けて通りたい」というのが、実はアパレル営業マンの本音なのです。ちょっとズル賢い営業だったら、「以前にも扱ったけど、その修理は不可能です」と簡単に断ってしまう例もよく目にします。
お店様にとってとても大切なニット製品の修理、しかしライバルであるアパレル営業マンは嫌がって受けたがらない、となればニット製造の専門家である我々にとって絶好のチャンス到来!です。
まさにこれこそ、専門店様が感動するほど喜んで下さる後方ご支援策を目指す、という『経営理念』が気づかせてくれた天の声だったのです。
ファクトリーブランド ≪Fayette≫ の生みの苦しみ
“Fayette”というブランドネームは、フランス・パリの中心にあるファイエット通りを歩く女性のファッションをイメージしてつけられました。
現在は、鹿児島県から北海道までの全国の地域を代表する優良婦人服専門店約238社様にお取引を頂くまでになりましたが、そこに至るまでの13年間は決して平坦な道のりとは言えませんでした。
平成7年にM社の海外生産移行の影響を受け、大慌てでリストラを断行したものの、これはあくまでもその場しのぎの方策でしかなく、外部の影響に左右されることなく確実に利益を上げられる強い企業体質を作るためには、一日も早くファイエットブランドによる『ダイレクトマーケット事業』を成功させる以外に道はありませんでした。
私はこの時、まさに断崖絶壁の淵に立たされていました。
崩れながら私に近づいてくるその断崖絶壁に対し、重い鉄の靴を履かされた自分の足で、急いで歩を進めなければ間違いなく崖の下へ落とされてしまう、そんな夢を見てはうなされて夜中汗びっしょりで目を覚ますことがしばしばありました。
私が思いついた唯一の戦略は、ファイエットの商品を車に積め、日本全国のお店様を一軒一軒訪問しその場で商談し販売してくるという、いたって泥臭い方法でした。
車での長距離移動は大変体に負担が掛かる上、とても集中力と根気を必要とする仕事でしたが、確立の一番高い方法を取る以外に私には選択肢がなかったのです。
無駄な経費は一円も使えない状況でしたから、荷物の積める出張用の中古車は個人ローンを組んで購入したのはもちろん、ホテルで泊まる宿泊代も節約する為高速道路のパーキングに車を止め、その中で一夜を過ごすこともしばしばありました。
そんな一夜を過ごしたある朝のことでした。
心細く不安な気持ちでトイレに向かい顔を洗い歯を磨いていると、私の隣にトラックの運転手がやって来て、同じように顔を洗い始めたのです。
「ああ、こんなことをしているのは俺だけではないんだ、同じようなことをしている人は他にもいる。」
この時、どれ程そのトラックの運転手さんから勇気をもらったことかわかりません。
私は、目頭が熱くなるのを抑えながら心の中で叫んでました、
「運転手さん、ここに居てくれて本当にありがとう!」と。
3月半ばに出発した、いつ帰れるか全く予定も立たないサバイバルな無期出張から戻れたのは、5月のゴールデンウィークが明けた頃でした。
この出張の成果は112軒のお店を訪問し、お買い上げ頂けなかった先は2軒だけという素晴らしいものでした。
新事業の今回の結果と今後の可能性を高く評価してくれた取引銀行からは、すぐに融資を取り付け、会社は存続の危機から脱したのです。
また同時に、ファイエットが名実と共に産声を上げた瞬間であり、夢にまで見た下請けからの脱却という、まさに大きな可能性の扉を開くことが出来た瞬間でもあったのです。
この年にお取引を頂いた専門店様が中心となり、今日のファイエットを支えてくださっているということは言うまでもありません。
下請け脱却の決意
平成5年2月、転職と同時にすぐ自社オリジナルブランド「Fayette(ファイエット)」の企画に取り掛かり、当時国内ではまだどこもやっていなかった工場から専門店へ直接商品を卸す、いわゆる“ダイレクトマーケットシステム”の実現に向け準備を始めたのです。
一方、事業の中心である問屋や商社から注文をもらって生産する下請け製造業を取り巻く環境は、中国を中心とした安い海外からの輸入品のあおりを受け、今まで以上に短納期・小ロット・コストダウンを求められるようになり、毎日夜遅くまで必死に残業を続けても、売上げ・利益ともに低下するという悪循環からは脱却できませんでした。
転職して2年目のことでした。
当時一番の主力取引先であったM社からのオーダーが突然全く入らなくなったのです。前の年は年間2億円弱の売上げがあった先だった為、私は大慌てで担当者へ電話を入れました。
私、「当てにしているオーダーはいつ頃いただけるのでしょうか?」
担当者、「それが・・・、実は会社トップからの大命令が下りまして、今後の生産は全て海外で行うようにと言われてしまったんです。僕らサラリーマンは会社の方針に従わないとクビになってしまいますから・・・。」
『もう駄目だ!』私は愕然とし、一瞬目の前が真っ暗になり言葉を失いました。
結局、この会社へのこの年の売上げは5千万円にまで落ち込み、それをカバーするだけの新しい取引先を瞬時に見つけることもできず、私は断腸の思いで大リストラを決断したのでした。
「この担当者をいくら恨んでも始まらない。大事な会社の運命を、相手任せにしているところにこそ大きな問題があるのだ!」
私はこの時固く肝に銘じました、絶対に下請けから脱却してやる!と。
アパレル最大手W社を退職、そして独立
横浜で生まれ横浜で育った私は、地元の大学卒業と同時にアパレル最大手であるW社東京店へ就職しました。入社後、営業に配属された私は3年目にもなると取引先から徐々に信頼も得られるようになり、仕事が楽しくなりやり甲斐も実感しておりました。
しかしその一方で、大手特有のお客様を上から見下ろす傲慢な会社全体の営業体質にも疑問を持ち始め、それは取引先との信頼関係が強まれば強まるほど大きくなっていきました。
結局、私がW社を退職するまでの9年間、休みもそこそこに西へ東へ身を粉にして営業で走り回りながら目にしてきた事実というものは、
1、「俺が売ってやっているんだ」とW社バッチをちらつかせる先輩社員。
2、素晴らしく販売力が有り、とても魅力的な専門店様。
3、しかし、大手アパレルに主導権を握られ、利益が取れず苦しむ専門店のオーナー。
の3つでした・・・。
神戸本社で企画パタンナーを務めていた家内と社内結婚した私は、私の持つわだかまりを払拭するようなビジネスモデル、つまりお取引先や仕入先にも共に喜んでいただける「Win*Win」をなんとか実現できないものか?というその想いをより一層強めていったのです。
三姉妹の三女である家内の実家は香川県でニット製造業を経営していましたが、後継者がいないという問題の他に、当時大きく変わりはじめた時代の変化にいかに対応していくか?という大命題を突きつけられておりました。
そこで私は躊躇することなくW社の退職を決意し、私の求めるビジネスモデルを家内の実家で実現させることにより、下請け工場から脱却した新しい時代対応型の企業へ業態変革させることができると考えたのです。
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